米津玄師『 LOSER』孤独と愛を叫ぶ!?
米津玄師さんの『LOSER』。
ボカロ時代のハチさんを知らなかった私も知ることになり、幾度もリピートして聞いた曲。
ダンスが話題になりましたけど、楽曲そのものが素晴らしいことが前提にあります。
自然に組み込まれた韻も心地よく、リズミカルなテンポで歌われるのは、胸にグッと突き刺さるような・・・孤独なのに勇気が出る、不思議な曲。
みんなが知っている人気曲を今さら書くのはどうかとも思ったのですが、詳しく調べて見たくなり書くことにしました。
歌詞に引用されている言葉からは、米津さんの多様な知識も伺え、すごいなあと感心するばかり。
曲の内容もわかるようで、わからないような不思議な曲だと感じます。
ご興味のある方はお付き合いください。
※あくまで個人的な解釈ですので、ご了承ください。
孤独な夜の過ごし方
夜って、もやもやと考えてしまいませんか?
孤独を感じる夜。
もううんざりだけど、夜だし、どこにも行けないし(言い訳)
『明日は楽しいことがあるかもしれない。』
なんて、淡い期待を胸に結局寝るだけっていう。
そんな様子が伺える冒頭でこの曲は始まります。
ネットで世界と簡単に繋がれるけど、実生活では孤独を感じやすい現代社会にも多いと感じます。
音楽動画のネット配信をしていた米津さんも孤独だったのでしょうか?
私には知る由もありませんが。
基本的には、米津玄師さんは孤独などを感じやすいネガティブな人だと感じます。
四半世紀の結果出来た青い顔のスーパースター
『LOSER』作詞・作曲/米津玄師 より引用
と、25歳(当時)の米津さん自身をディスって表現しています。
クリエイティブな仕事の方は、元々家に引きこもりがちだとは思います。
小説家、漫画家、音楽家など、結局は一人で生み出すことから始まる職業の方たち。
家に引きこもり日光に当たらず、不健康で青い顔になるのも仕方ないでしょう。
更に、音楽動画の配信をして人気アーティストになっても
ここはどうだ楽園か?
『LOSER』作詞・作曲/米津玄師 より引用
と、成功や幸せを実感できないでいます。
浮かれたりもしないし、まだ現状に満足していないのですね。
周りから見た自分を取り巻く世界と、本人から見える周りの世界も違うものです。
楽園とは何なのか?も本人ですらわかっていないのかもしれません。
かなりストイックに上を目指しているのか?
はたまた、孤独から解放される場所のことなのか?
アイムアルーザー
『LOSER』作詞・作曲/米津玄師 より引用
と、自分を蔑む米津さん。
ルーザー【負け犬】と呼んでいます。
どんなに売れても満足出来ない側の人ではないでしょうか?
成功者への妬み、嫉み、楽しく過ごしている者への嫉妬など、色々あると思います。
ああだのこーだの知ったもんか
幸先の空は悪天候
ほら窓から覗いた 摩天楼 からすりゃ塵のよう
イアンもカートも 昔の人よ
中指立ててもしょうがないの
今勝ち上がるためのお勉強 朗らかな表情『LOSER』
作詞・作曲/米津玄師 より引用
不吉な前兆があっても、成功して摩天楼のように高いところから見れば、塵のように些細なことだと言っています。
イアンもカートも昔の世界的トップミュージシャンとして名を挙げているのだと思います。
過去の成功者を妬んでいても仕方ないですよね。
自分が高みに登れるように頑張るしかないです。
しかし、自分のことを考えすぎると、自意識も膨れ上がってきます。
踊る阿呆に 見る阿呆
我らそれを端から笑う阿呆
でかい自意識を抱え込んでは もう 磨耗
すり減って残る酸っぱい葡萄
膝抱えてもなんもねえ ほら
長い前髪で前が見えねえ
笑っちまうね パっと沸き立って
フワっと消えちゃえる こんな輪廻『LOSER』
作詞・作曲/米津玄師 より引用
徳島の阿波踊りで、“踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々“という歌いだしの1節があります。
“どうせなら、楽しく踊って過ごさなきゃ損だよ。“ということです。
これとは少し違っている部分があります。
私たちは踊る阿呆でも見る阿呆でもどちらでもなく、“端の方で嘲笑しているだけの傍観者“だと歌います。
自意識が膨らんでいき、妬んでいるだけ。
これを“残る酸っぱい葡萄“と言っています。
酸っぱい葡萄は、イソップ寓話のお話のことです。
キツネがおいしそうなブドウを見つけるが、高いところにあり、どうしても手が届かない。
しまいには「あのブドウはきっと酸っぱくて、まずいに違いない」と言って去る。
・・・というお話。
つまり、本当は踊る阿呆が羨ましいのに、そうなれないから妬んでいるんですね。
本当は楽しく過ごしている人が羨ましいのに、自意識過剰で、どうしても同じようにできない。
『どうせそんなこと、つまんないでしょ。』という顔をするしかできない。
自意識は“高い““低い”と表現しますがどちらでもなく、ただ“でかい”だけの自意識を抱え込み、精神が消耗します。
膝を抱えてふさぎこんでいたって、何もならない。
長い前髪も、邪魔で前が見えないだけ。
あっという間に生まれて消える。
それを繰り返すだけの人生だと言っています。
本当は、みんなは周りのことなんて大して気にもしていないですけどね。
自意識でかい+自己評価が低いというのは、やっかいです。
身動きが出来なくなってしまします。
本当は楽しく踊りたいのにそう言えないということもありますが、今度は愛されたいのにそう言えない者へ。
「愛されたい」って言おうぜって呼びかけます。
愛されたいならそう言おうぜ
思ってるだけじゃ伝わらないね
永遠の淑女はそっぽ向いて
天国は遠く向こうのほうへ
ああわかってるって 深く転がる 俺は負け犬
ただどこでもいいから 遠くへ行きたいんだ
それだけなんだ『LOSER』
作詞・作曲/米津玄師 より引用
永遠の淑女は、ダンテ・アリギエーリ(イタリアの詩人・政治家)の代表作『神曲』に登場する“ベアトリーチェ“。
彼女は、“永遠の淑女”とも呼ばれ、愛を象徴する存在として神聖化されています。
愛されたいなら、思っているだけでは伝わらない。
愛の象徴からも相手にされず、遠ざかっていきます。
愛されたいとわかっているのに言えないし、自分は負け犬だということもわかっている。
タイトルや歌詞で『LOSER』と言いながら、孤独や愛への渇望が垣間見えます。
これを感じ取るのは、自身にも孤独を感じやすいタイプの人だけかもしれません。
私はわけもなく悲しくなって泣いたりするタイプで、この曲を聞いて悲しくて孤独だと感じました。
しかし、ずっと一人で、友達がいなくても何も感じないタイプの私の知人は、この曲に全く孤独を感じなかったようです。
みなさんはどう感じたでしょうか?
もちろん、この曲が歌うのは、孤独や愛だけではないと思います。
“遠くへ行きたい。“
この表現が米津さん独自のものですが、表現への飽くなき探求心とでも言いますか。
未だ到達していない、新しいもの(音)を求めている感じがします。
耳を澄ませ 遠くで今 響き出した音を逃すな
呼吸を整えて
いつかは出会えるはずの
黄金の色したアイオライトを
きっと掴んで離すな『LOSER』
作詞・作曲/米津玄師 より引用
遠くで響きだした音に導かれるのは、アイオライトかもしれない。
アイオライトは、夢や目標、自分らしさへと導く石。
ビジョンを指し示す人生の羅針盤。
アイデンティティを呼び覚まし、本来の自分自身を取り戻す。と言われています。
菫(すみれ)がかった色から、灰色がかった黄色へと、見る角度によって色が変わる鉱石です。
米津玄師さんは、ずっと自分らしい音を探し求めています。
それは、人によっては別の何かに代わるアイデンティティのことです。
やっと意識の遠くにでも聞こえてきたのでしょうか?
それを見つけたら掴んで離すな。と強いメッセージを呼び掛けています。
希少価値のある自分自身の音を見つけたい。
みんな自分自身の道を見つけたい、誇れるものが欲しいという欲求もあるでしょう。
とにかく、前へ進まないことには、どうしようもありません。
進むときに、考えこみ過ぎるのは厳禁です。
考えすぎる夜から脱却しよう
最後の最後に、やっと思考の闇から救出される気がしました。
内向的な世界から、表の世界へ飛び出していけるように背中を押してくれます。
アイムアルーザー
なんもないなら どうなったっていいだろう
うだうだして ふらふらしていちゃ
今に 灰 左様なら
アイムアルーザー
きっといつかって願うまま 進め
ロスタイムの そのまた奥へ行け『LOSER』
作詞・作曲/米津玄師 より引用
どうせ元々なんにもないんだから、どうなってもいい。
そんな楽天的な思い切りの良さは大事かもしれません。
このままうだうだして死んでいくだけより。
きっといつか夢を叶えたいとか、自分らしい目標を見つけたいとか、愛してほしいとか、自分の願ったままでいいから。
傍観者はやめて、自分で先へ進んでいうぜ。
失われた時間だけでなく、もっと先まで進もう。
そんなメッセージが込められていると思います。
元々なんにもない人は勿論ですが、何かを築いてきた人で失った人もいるでしょう。
一度手に入れていた人も、初めは何もなかった。
そう思えば、全ての人はここから頑張れるのではないでしょうか?
どのみち亡くなったら、灰になってなくなるだけですし。
“灰 左様なら“は、戯作者 十返舎一九の辞世の句
「この世をば どりゃ おいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」
亡くなることを、“この世をおいとまする“って表現も面白いですね。訪問先じゃなんだから。
それはさておき、曲中で使用されている“灰 左様なら“は、亡くなったら、はい、さようなら。と、火葬されて“灰“になるということをかけたシャレ。
シャレにしつつも、理にかなっているところが妙です。
この曲にこのフレーズが入ったことで、『シャレのように歌うけど、本当にそうだからね。』と言われている気がします。
米津玄師さんはすごく賢い方だと感じますが、創られた音楽はとても感覚的だと感じます。
歌詞も色々な引用を組み込んだりあちらこちらに話が飛ぶのに、米津節の世界観で不思議とまとまっている感じがします。
詳しい歌詞の意味はわからなくとも不思議と胸に響く曲になっています。
深く調べて理解を深めるとより面白く、胸に突き刺さる曲です。
イントロの『すうっっ!』と息を吸い込むところや、
サビで、『Fu!!』と遠吠えが連鎖するような合いの手が入るところも気持ちが良くて好きです。
最後には、勇気、元気を与えてくれる米津玄師さんの『LOSER』。
これからも、聞き続ける曲の一つでしょう。